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優しいねと言われた時、嫌な気分になることが多かった。ある本を読んだ時、「優しい」に対して「無個性を取り繕うようなこと言うな」と返しているのを見かけ、私だけじゃないんだと思った。しかし、それはあくまで本を読んで得た感想に過ぎない。なので、実際に優しいが無個性に対して使われているのか、また、人権作文で語られる優しさ=強さの言葉の真意について考えたいと思った。この課題を解決することで、優しいに新たな意味が芽生え、何の意味も持たない薄っぺらな言葉でなくなるかもしれない。
きっと誰もが言ったことがあるであろう言葉である「優しい」。もちろん、私もこの言葉を幾度となく発してきたし、この言葉を聞いてきた。しかし、その言葉を発する意味を、理由を、きちんと理解している人はどれほどいることだろう。その言葉の発せられる動機について、辞書的な固い意味でなく、もっと日常的かつ口語的な意味として「優しい」という言葉について考える。日常に絡めやすい、実用性ある言葉の探究の一環として。
辞書等による意味の確認から、自分なりの解釈を交え自分の考えを固定化。また、自分以外の考える概念の差についてはアンケートを依頼し、人々が考えている優しさに関して統計をとる。情報をインターネットで集める際は、様々な意見を取り入れたいという意から、専門家の記事に拘らず、高校生の書いた人権作文から、一般のブログ、身近な人、SNSまで幅広くを参考としている。
優しいについて考えると、言いたくなる瞬間、相手は「自分にとって好都合な人間」であることが絶対条件であった。しかし、優しいという言葉のキャッチボールに関しては一概に考えようとするといけない。言われる対象にのみ焦点をあてると、2通りいる。本当に優しくて言われた人。社交辞令的に言われた人。前者は、精神的余裕が大きく、優しいと言われ慣れているため何も思わず、後者は、嬉しい人、嬉しくない人どちらもが存在し、人によりけりな部分が大きくなってしまった。ただ、嬉しい人も嬉しくない人も法則のようなものは見受けられた。
言葉の意味に関して考えることは容易ではないが可能である。その言葉に対する人の感じ方に関しては人による差が大きすぎて一つの結果を出すことがあまりにも困難を極める結果となった。