人類や地球まで広げてみよう。生物学の視点から見たウェルビーイングとは
個人のウェルビーイングは環境に左右されると言われますが、さらに大きな視点で見ると地球や宇宙、そして生物全体のつながりが見えてきます。Labにお問い合わせをいただいたことをきっかけに、辺境環境を研究し「科学界のインディ・ジョーンズ」とも称されることもある、広島の安田女子大学教授の長沼毅(ながぬまたけし)先生に、ウェルビーイングや未来についてお話をお伺いしました。
過酷な環境に挑む長沼先生とウェルビーイングって?
- まず、先生のご専門について教えてください
-
長沼先生 「生物学とは、動物、植物、菌類、微生物など生き物全般を扱う学問。いろいろな生物がいて、それらがどのようなライフスタイルで生きているかを研究しています。」
「僕は、生き物の限界というものが好きで、例えば高温、低温、酸性など、極限的な条件で頑張っている生き物の限界を知りたい…。いや、頑張っていると思ったら、彼らは頑張ってないんです(笑)。例えば温泉に住んでいる生き物を我々の日常的な気温に持ってくると、彼らにとっては凍えちゃうぐらい寒いんですね。人間だけなんですよ、そこを極限環境って勝手に思っているのは」
「人間だけなんですよ。極限環境って思っているのは」 と語る長沼先生
- 先生は北極・南極・火山、深海にも研究に行かれているようですが
-
「そこに生きているものたちの気持ちを知るには、そこに身を置かねばと思ったのです。でも、彼らにとっては住めば都で、辛い目にあっているのは僕ひとりだったんですよね。特に過酷だったのは、アフリカの赤道直下のルウェンゾリ山。標高5,000メートルの山で、山頂は万年雪(氷河)で寒いし、雹(ひょう)は降るし、空気が薄いところは本当に辛い。むしろ南極の昭和基地があるところは標高0メートルだから空気は薄くない。砂漠はね…、好きです(笑)。空気がサラッと乾燥して、日本の梅雨と真逆ですね。」
左:2007年チュニジアの砂漠/右:2009年アタカマ塩湖(チリ最大の塩類平原) 左:2011~12年 南極のスカルブスネス(昭和基地の50km南方にある場所)/右:2015年 アメリカのユタ州の砂漠で火星に住む練習を行った火星シミュレーション ※すべて長沼先生ご提供
辺境環境での研究のお話が、次々に飛びだしてくる長沼先生。学生の頃には宇宙飛行士にあこがれて、宇宙開発事業団が募集する宇宙飛行士採用試験に応募されたこともあるそうです。そんな長沼先生は、なぜウェルビーイングを意識されるようになったのでしょうか。
- ウェルビーイングについて考えるようになったのは?
-
「例えば先ほどのアフリカの山の研究では、30人ぐらいサポートの人を依頼。その人たちの手を借り足を借り、なんとか山頂までのぼってさらに崖を登り、また降りてくる。本当に大変です。」
アフリカのルウェンゾリ山。山頂氷河と長沼先生 「それなのに、僕が探しているのは、世界中どこにでもいるような普通の生き物なのです。なぜなら、同じに見えて、どの場所にいたかによって少しずつ性質が違っているから。そのどれかが、将来人間が火星に住むときに火星の環境を変える生き物として、あるいはペットとして、連れていくことができるかもしれない。そんな僕の思いを、現地のサポートの人たちに話すことで、思いを共有・共感して手伝ってくれるのです。
みんなで1つの目的をやり遂げる、それもウェルビーイングのありようだと感じました。さらに、チーム全体がよい状態でないと、自分もよい状態になれないと感じたことも大きいですね。」左:研究のため、ルウェンゾリ山では30名ぐらいの現地サポートを依頼/右:探していたのは山頂付近にあるイワタケ(地衣類)。実はどこにでもいる生き物だそうです
辺境研究の中でウェルビーイングを意識するようになったという長沼先生。広島の安田女子大学の理工学部生物科学科では、どのような授業が行われるのでしょうか。
生物学の授業を通じて、本当に伝えたかったこと
- 学生に伝えたかったこととは?
-
「安田女子大学では日本初の女子大学の理工学部を2025年4月に設立。生物の授業の第6回目でウェルビーイングを取り上げました。伝えたかったことはただ1つ。自分の幸せは、周りの幸せと同期している、シンクロしているということ。自分一人の幸せは真の幸せには至らない、ということですね」
生物の授業の第6回目のテーマは 「ウェルビーイングを生物学的視点から考察する」 というもの
実際に授業を受けた学生の皆さんに、お話を聞いてみました。
- 授業を受けてどう感じましたか?
-
- かちゅんさん「ウェルビーイングって想像しにくかったのですが、自分の行動がまわりの人の幸福につながると知って、身近なものだと感じました」
- キャベツさん「個人の幸福は世界の幸福の上になりたっていると感じ、戦争や飢餓のことも常に考えなくては、と」
- ごま団子さん「授業で紹介された、宮沢賢治の “銀河を自分の中に意識して” という文章が印象的でした。今は核家族化など、人と人とのつながり、自然や地球とのつながりが薄れてきている。昔の方が、つながりを感じられる世の中だったのかなぁ」
「宮沢賢治は、 “世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない” 、さらには “正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して” と言っています。この銀河系を生態系に置き換えれば、まさに生態系ウェルビーイングですよ。約100年前に言っている、天才ですよ」
「また、生物学の視点から、個人のウェルビーイングはある程度コントロールできるという話もしました。オキシトシン(※1)を出やすくする行動や、セロトニン(※1)という脳内ホルモンを出しやすくするために食べ物で腸内細菌を改善する方法など、ウェルビーイングになるための方法についてです。」
※1)オキシトシン、セロトニン、ドーパミン、エンドルフィンが4つは、 「幸せホルモン」 と呼ばれる神経伝達物質のこと。
学生からは 「遺伝子や食は、人や生命に一番関わっているところ。そこをより良くできる研究成果を、将来的に出せたらいいな」 「理系は技術や製品を生み出して、環境を整えていくことで個人や社会の幸福につながると思う」 など、ウェルビーイングな社会に貢献したいという声があがりました。 「学生はとっくに分かっていることを、僕がダメ押ししただけですね(笑)。エデュケーションって(※2)、語源は“もともとあるものを引き出す”ってことなんですよね」 と長沼先生はさらに笑顔に。
ちなみに、長沼先生が最もウェルビーイングを感じるのは 「職場」 だそうです。学生や前向きな同僚と一緒にいることが、一番幸せなのだそう。楽しそうなやりとりから、十分に感じることができました。
※2)Education(エデュケーション) 教育、育成、養成などを表す英単語。
人間はもっともっと“いいヤツ”になっていく:長沼先生の展望
- 最近の関心事はどのようなことでしょうか
-
「未来を垣間見ることができるのではないか、と思ってひたすら歴史を勉強しています。宇宙、地球、生命、そして人間の歴史。今のところ僕の結論は、未来は明るいなというものです。近年、人間はヒューマニティ(人間性、人間らしさ)が飛躍的に向上し、良い方向に向かっている。結構、いいヤツになっているんで、この先、もっともっと、いいヤツになっていくと思っています」
「特にこの100~200年、人間はいいヤツになっている。もっともっと、いいヤツになっていく」 と笑う長沼先生 「生物の進化は、遺伝子の突然変異と自然選択に委ねられてきましたが、遺伝子や進化の秘密もさまざまに分かってきました。私たちは今、人間の進化の方向性を自分たちで決められるようになってきたと言えます。こうして大学でウェルビーイングを学ぶこと自体が、人類がよい方向に向かっている証だと思っているのです。」
最後に、これからのウェルビーイングについてお伺いしました。
「これから、多くの人がウェルビーイングを考えるようになると思います。さらに進めていくためにはアクションが大事。“ありがとう”と声に出して言ってみる、疲れたらさっさと寝るなど。アクションで自分のメンタルは変えられる。みんながウェルビーイングのことを知れば、自分と未来を変えて行けると思うのです」
ウェルビーイングを個人や組織、地域や国単位で考えることが多かったのですが、辺境の小さな生物から人間、銀河系まで、雄大なスケールのお話をお伺いすることができました。人間はもっともっと“いいヤツ”になっていく、そんな未来が楽しみです。

安田女子大学 理工学部生物科学科 学科長
専門は極限環境の生物学や生物海洋学。宇宙飛行士採用試験で二次選考まで残った経験を持ち、第52次南極観測隊員。 「科学界のインディ・ジョーンズ」 と呼ばれ、テレビ出演や著書も多数。
- ご参加いただいた学生の皆様
- 「私のウェルビーイング」 を教えてもらいました
- かちゅんさん勉強であったり、その他のことでも、友達と助け合っているときです
- キャベツさん推しのドラマを見ている時が幸せです!
- ごま団子さん個人だけでなく、社会全体が自身にとっての幸せを感じることができている状態です